大体白目になってるかメガネ光ってる

美も細も心から欲しいけど寝っ転がってたい

知らなかったし悲しいし悔やまれるしすごく寂しい

 

私たち家族の暮らすマンションは1フロアに5部屋。

我が家はコの字型の端っこ。

隣は旦那さんに先立たれ一人暮らしのピとうさんておばあちゃん。

その隣は高齢のピかはしさんご夫妻。

その隣は5人の子沢山(3人成人して巣立ち済)ピうちさんご家族。

反対側のコの字の端っこは最近娘さんが独り立ちされたピさわさんご夫婦。

 

うちの子達が1番小さいってこともあり、生まれた時からみなさんに可愛がってもらって、どこか旅行に行けばお土産を渡しあったり、沢山の頂き物があればお裾分けしあったり、なんだかんだととても良いお付き合いをさせてもらってる。

 

特に隣のピとうさんは1人暮らしってこともあって、何かあれば1番すぐ駆けつけられるんだしと連絡先も交換して、交流していた。

穏やかな優しいおばあちゃんで、いつもいつも子供達を可愛いがってくれて、成長を喜んでくれていた。

そのピとうさんが亡くなっていた。

 

最近会ってないなと思うことは今までだってよくあったし、それでもまた会えて、なんだか久しぶりだねって話すだけだったのに。もういなくなっちゃってた。

今日知った。

 

お昼頃、廊下がすごく騒がしくて、何事かとドアを開けたら、救急隊員の方がわんさか、お巡りさんもいた。

明らかにただごとじゃなくて、血の気が引いた。

 

実は先週末、旦那が喪服の人たちがピとうさんのおうちに入って行くのを目撃していた。

それで、まさかね、なんて話をしてた。

でもまさかのまさかって思いたかったし、確かめる術はなかったし、いや、翌日管理人さんに聞こうとしたんだけど、やっぱりそんな失礼になるかもしれないこと聞けないとやめたり、してた。

 

ピとうさんは1週間前に亡くなって、もう葬儀も済んでいた。

親族の方から管理会社に連絡は入っていたのだけど、管理会社から管理人さんへ伝えていなかったため、今日、ピとうさんと連絡がつかないことを心配した近所に住むお友達が管理人さんと共に警察に連絡、それでこの騒動に繋がってしまっていたのだ。

静かで穏やかで慎ましくて…そんなピとうさんが、自分が居なくなった後にこんなことになったの、嫌だったろうなと思う。

 

何がどうしてなのかとか、詳しいことは何もわからない。

ただ、もうピとうさんはお隣にいない。

 

長男がまだ2、3歳くらいの頃、ちっとも上手くできない子育てに追い詰められていた私は、泣き止まない長男とお出かけから帰宅した途端、玄関で一緒になって泣いて、ものすごく怒鳴ってしまったことがあった。

聞こえたんだと思う。

ピンポンて玄関のインターホンが鳴った。

我に返ってとてもじゃないけど開けられないとドキドキしてたら、ドアをノックしてピとうさんが言った。

「大丈夫?大丈夫よー」

またドバーッと涙が溢れて、ドア開けて、ピとうさんが入ってきて、優しい声で私たちを慰めてくれた。

「大丈夫、大丈夫よ。大変な時ってあるけど、絶対大丈夫。」

 

こんな小さな子相手に泣きながら大声で怒鳴りつけてるなんて、何してるの!って怒られるんじゃないかと思ったのに、ピとうさんはそうやってただひたすら優しく諭してくれた。

実の母親とは疎遠だし、身近に安心して頼れる人がいなくて、心細くて仕方なかった私にはそれがもうめちゃくちゃ有り難くて、わんわん泣いた。

おうちに連れてってくれてみかん出してくれて、その後しばらくおしゃべりしてた。

ピとうさんのお家はいつもすごくキレイで、大事に育てられてる植物がたくさんあって、ちゃんとした暮らしがあった。1人なのに偉いなぁすごいなぁと行く度思った。

 

次男が生まれて、思うように長男を遊びに連れてってあげれないって話した時には、今ちょっと2人で行ってきなよって次男を見ててくれた。

ピとうさんの大きなベッドの上にコロンと転がった次男の姿を、かわいいねーって2人でニコニコ見てたのを覚えている。

 

ついこないだのことのようなのに、それですらもう8年くらい前になるのか。

ピとうさん年をとったな、って感じてた。

私はもっと出来ることがあったんじゃないかな。何かもっと手伝ったり、声かけたり、用がなくてもピンポンしたり、すればよかった。

言うだけで、結局何もできてなかった。

沢山優しくしてもらったのに。

 

思い出すのは嬉しかったことやありがたかったことばかりで、本当にいい人だったんだなって思う。

子供達2人の成長をすごく楽しみにしてくれてたし、かわいいかわいいっていつも言ってくれたな。

年の始めにはお年玉をくれたり、買えないような高級なフルーツもよくいただいたな。

私はしんどい時ばかり助けてもらって、ピとうさんが話し相手が欲しかったり、何か手伝って欲しかったりした時には何もできなかったんじゃないだろうか。

 

ピとうさんはお隣のピかはしさんと折り合いが悪くて、その愚痴が増えてきた時、私はあまり聞きたくないと思ってしまった。

ピかはしさん達にも良くしてもらっているし、嫌だなと思ってしまった。

そんなの言うだけでスッキリするんだから、沢山相手すればよかったのに。

 

いつも良くしてもらうばかりで私はちっとも返せない。っていうようなことを言った時、ピとうさんが

「その内嫌でも歳をとっていくから、そしたら若い子に同じようにしてあげたらいいよ。私はもう色んな人に沢山良くしてもらったから、だから出来てるだけよ。」

と言ってくれた。

長男にその話をした。

そしたら私の後悔を、ピとうさんに出来なかったことをまた別の人にやってあげたらいいじゃんと言ってくれた。

 

長男は今日が春休み最終日。

終わっていない課題に取り組んでる時に、救急隊の人がわんさか家に入ってきた。

その時はまだピとうさんについての正確な情報が入ってなかったため、安否確認のためうちのベランダから救急隊員の人がピとうさん宅ベランダに入るという非日常を体験した。

彼にとっても衝撃的な日になったことだろう。

 

「俺はピとうさんに優しくできたな!下から荷物運ぶの手伝ったりしたもんな!」

今日は長男の、悔やまない、朗らかな姿に救われる。