これが苦手なママ友業界にあったのだから、わかりませんぞ
いくら仲良くなっても自分だけのことで済まないのがママ友業界。
我が子のキャラや、クラスでの立ち位置、子供同士の仲の良さ、成績、運動能力、習い事、受験、子供同士のトラブル。まーあ色んなことがある日突然絡まってきたり、知らない間に起きてたり。
見ないふりしたり知らないふりしたり。
ママのことは好きだけど、子供はあんまりとかあるし、その逆もあるし。
私はひたすらに上手く立ち回れないタイプなので、なるべくあまり深い関わりをもたないように過ごしてきた。
それでもやっぱり付き合いは生まれる中で、めちゃラッキーなことにすごく気が合って好きだなーって思えるママにも何人か出会えた。
人として出会った時にはママだから、子供きっかけで始まった人はみんな最初ママ友で、そっから普通の友達になっていける人がいる。
その人が良い人、気が合うってだけじゃ無理なのがこのママ友始まりコース。
いくら大人に優しくても子供への接し方が恐ろしかったら、おや?
何を大切にしているかの基準が違えば、おや?
旦那の愚痴とか私ももちろん止まらないんだけど、そんな言い方しちゃう?っての聞くと、おや?
おや?は、いとも簡単に溜まっていくから、その人に対しての距離も決まってく。
私の場合は出会ってすぐが1番近くて、後はどんどん離れていくばかりというストライクゾーンの狭さ笑
球審厳しめ!
もちろんそんなだから相手からもボール判定めちゃとられているのだとは自覚している。
そんな私軍の不動の4番がピー子ちゃんだ。大谷ピー平!
溜まりに溜まった不満、ちょっとした謎、恥ずかしかったこと、やっちゃったよーってこと、嬉しかったこと、ちょっと自慢したいこと、慰めてほしいこと、あんまり言っちゃいけないような最低なこと、ひたすら笑いたいこと…日々の色んなことをかなーり包み隠さず話せてしまう。
半年に一度くらい、都合を合わせて2人で夜の会をする。
お酒はあってもなくても良い。ひたすらに喋りたいだけだから、素敵なお店でなくても良い。
気候が良ければお散歩しながらでもいいし、公園のベンチでもいい。
ただひたすらに話したい!
なぜこんなにもピー子ちゃんと話すことが心地良いのかというと、ピー子ちゃんは否定をしない。
ほぼ全てを良いように聞いてくれる。
気を遣ってとかでなく、すごくナチュラルに、私が考えつかないようないーい解釈をしてくれるのだ。
そんなことじゃないんだよーと言いつつも、あ、そう考えられたらいいのかぁと、気持ちがほんわかほんのり明るくなっていく。元気づけようとかしてるわけじゃなく、とことんナチュラルだからこそ、素直に聞けるんだと思う。
どぎつい伯母2人を筆頭に、私は実家のメンバーもナチュラル否定的精神の人々で構成されており、基本蔑まれ見下され生きてきたので、ピー子ちゃんの優しさはしみしみに染みる。
いつか私たち2人を知る友達に、
「2人がつるんでるの不思議だわ。こんなピュアな優しい人と、こんな、あの(私)みたいな人が、どうして、って笑」
と、言われたことがあるんだけど(改めて書いてみるとひどいな笑)、まさにで。
私の暗黒ぐっちゃぐちゃ面をピー子ちゃんのどこまでも澄んだ、あの炭治郎の精神世界みたいなとこでスーンて浄化してくれてるんだろか。
不思議なことにピー子ちゃんも私が好きなのだから面白い。
両極端だからかな。嫌な気持ちにならないのかな。
で、兄弟構成も一緒。
長男が幼稚園一緒だったけど、その後引越しちゃったのもありその後は学校関連何も被ってないのも気楽ポイント。
気兼ねなく話せることが多い。
昨日、その貴重な半年に1回の日がやってきたので、ひたすらにしゃべくってきた。
今は飲み屋さんもファミレスも大体22時には閉まってしまうという現実に直面。
まだまだ話したくて名残惜しくて、駅のロータリーのベンチで2時間近く話してたらあまりに体が冷えて、泣く泣く終了。
長男のダメマウント合戦が面白かったので、そのこと書きたくブログ書き始めたんだけど、ピー子礼讃に至るまで長すぎた。辿り着けないや。
大人になってからもこんな出会いがあるんだな、嬉しいなってちょっと前は思っていたんだけど、年をとって色んなことから解放された面もあって、むしろ若い頃より人と付き合いやすくなったのかもしれない。
おばさんになっていくのは、悪いことばかりではないな。
これからもピー子ちゃんとは、うちの子がどうしようもないわーだの、旦那にイラっとするわーだの、お金がないわーだの、ここがイテーだのあそこがイテーだの、あの病院の先生が親切だわよーだの、ペチャクチャしてけるといいな。